笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2011-02-11

高橋悠治、1988年のコンサート

メガネのツザキさんが、16年前のコンサートのチラシや切符を、きちんと保管しておいて下さったとは、じーんと嬉しくなりました。主催者の手元にはどういうわけか、何も残っていないのですから。

さて、そのチラシにある4枚のイラスト画は、ジョン・ゾーンの“Locus Solus”というレコード(米Rift)に封入されていたカードから、無断で拝借したものです。なかなかポップな感じで気に入っていました。

そのジョン・ゾーンと高橋悠治とのデュオのコンサートを、1988年に広島で催しました。

サックスとピアノのデュオのつもりで企画しようとしていたのですが、高橋悠治は「今回はピアノは弾かない」と言ってきたのです。では、シンセサイザーかなと思っていたら、パソコンとサンプリング・モジュールというものを用意して欲しいという要求が出されました。

今でこそ、ライヴでサンプラーを使って「演奏」するのは、ごく普通の風景になっていますが、当時は、そもそも何をする機械なのか、とりわけこういう分野に疎い私には、ちんぷんかんぷんでした。それもなかなか高価なもので、業者に借りたらびっくりするほど金がかかることがわかりました。ところが幸いなことに、市内の老舗の和菓子屋さんのご子息がもっておられるということを知り、頭を下げて借り受けたのでした。




ジョン・ゾーンは、「今夜はビバップ・ナイトだぜ、ユウジさんもいくぜ、べイビー」みたいなノリで、やたらにはしゃいでいました。高橋悠治も、なぜか嬉しそうでした。

今は会場にことかかない広島ですが、そのころはそうでもなくて、出来たばかりの県立図書館の地階の会議室みたいなホールにPA装置を入れて、ずいぶんでかい音でライヴをやりました。

あの日の不思議な音世界を何と形容したらいいでしょうか。カエルやゾウの鳴き声、金属音、風の音、なんかわけのわからない、楽音とは言えない音の洪水の中を、サックスが変幻自在に駆け回る…。

あの時、高橋悠治が使用した音源の多くは、後に「高橋悠治リアル・タイム5『翳り』」(fontec)としてCDで発表されたものと同じだと思われます。

そのCDが手元にあって、帯には次のように書いてあります。

「部屋、あるいは人の出入りする空間に音量を小さめにして流しておく。全体をREPEATにしておけば、一日中鳴っているだろう。」

でも、一日中聴いている人はいないだろうな。fontecのCDは高いので、買ったときには、かなり真剣にスピーカーに向かって聴いたのを覚えています。(かなり滑稽)


さて、ライヴが終わって引き上げるときに、職員さんがにがりきった表情で私に言ってきました。「ジャズのコンサートと聞いたから貸したのに、あれじゃあ、もう貸せん!」

内容が気に入らなかったのか、音がでかかったからなのか、その理由はわかりませんが、私はなぜかすがすがしい気分でした。「おっさん、サンキュー!もう二度と借りてやらないぜ」ってね。

(全文・主宰提供 / スクラップ,改行編集・optsuzaki)