2011-07-31

こどもたちの花火



怖くて綺麗な光を ひしりとたずさえる 

少し背伸びな 夏の夕暮れ

2011-07-30

花火よ花火



消えようとして

消えるまえに


(長谷川四郎の猫の歌 花火の歌 より)

2011-07-29

レイ・ハラカミさん

いちども あえなかった あなた

You showed me が 鳴り響く いつまでも

2011-07-28

コンサートを終えて/ジャズ大衆舎 on web #6

コンサートを終えて

実を言うと、クープランはあまり得意なほうじゃない。バッハのようなダイナミックなドラマがあるわけではなく、深い精神性が感じられるわけでもない。いささか起伏に乏しく、短い曲が多いわりには冗漫に感じる。つまり、バッハとは違う美意識が支配する音楽であり、そこに価値を見出すことがかなわなければ、クープランを愉しむにはいたらないということだろう。

それでも、武久源造がたびたび我が街を訪ねてくれるようになり、演奏会でクープランの小品を奏でるとき、その美しさにはっと息を呑むことがある。どうしてもやり過ごすことのできない音楽――。

この日のコンサートの半分は、筆者がリクエストしたコレッリのソナタであったが、もう半分は、演奏家たちの合議でクープランが選ばれた。結論からいうと、ほぼ同時代のイタリアとフランスの巨匠の音楽は、相互の特徴を際立たせることになり、たいへん面白いコンサートになった。

コンサートは、クープランの『王宮のコンセール第3番』で幕を開けた。「コンセール」と、「コンサート」「コンチェルト」は、もともとは同義であろうが、こんにち一般的に流通している「演奏会」あるいは「協奏曲」とはやや意味を異にしている。まあ「合奏曲」くらいだろうか。この音楽には、イタリアに始まった、各楽器が競い合うという意味での「コンチェルト」の雰囲気は乏しい。対比よりも和合とか融和とか、そんなことを感じさせる。短い舞曲を連ねるというやりかたも、いかにも宮廷の典雅を感じさせる。

一方で、コレッリのソナタは、すでに充分にヴィルトゥオーゾ的であり、美しい旋律と技巧を前面に押し出したヴァイオリンは、快哉!と叫びたくなる。また、通奏低音との対比も明快で、競い合う「コンチェルト」そのものであった。緩急緩急という教会ソナタ形式も凛としたメリハリを感じさせる。

つまり、両者は何から何まで対照的なのだ。

クープランの2曲目は、『ヴィオール組曲第1番』だった。筆者は、ヴィーラント・クイケンとロベール・コーネンのCDを聴いていたが、どうもこのCDは好きではなかった。どこかもこもこして不明瞭で覇気に乏しいように聞こえた。平尾雅子のヴィオラ・ダ・ガンバの音は、悠揚として迫らず、ふくよかでたっぷりとした情感を湛えていた。それでいて細やかなニュアンスに富んでいた。これは、CDで再生できる音楽ではない。低音も素晴らしいが、中高音へのすべるような上昇も美しかった。かつて聴いた、鈴木秀美の5弦のチェロピッコロを思い出した。それでもチェロは男性的な強い響きがしたが、ガンバは女性的、というより中性的で不思議な艶めかしさがあった。コンサート本番もさることながら、リハーサルで間近に聴いたガンバの音の美しさは譬えようがなかった。遠く離れてみるとだんだんと細部のニュアンスが曖昧になり表情は薄くなっていく。ごく間近でしっとりと耳を傾ける楽器、まさにサロンの楽器のように思えた。



終演後の打ち上げでの、平尾雅子の話はたいへん興味深かった。6弦のガンバを長く弾いていたが、フランスの7弦のガンバでマレを弾いたとき、その音が豊かに横に広がっていくようなのに、これだ!と思った。フランスのバロック音楽には、宮廷人のちょっとした素振りとか、わかる人にはわかる音楽の表情がたくさん隠されている。――そんな中身のことを、喜びに溢れた表情で語るのだった。筆者は、ちょうど読んでいた岩波文庫の『失われた時をもとめて』第2巻に出てくる、ヴエルデュラン家のサロンでのスワンとオデットの恋の駆け引きを思い出して、思わずそのさわりの部分を紹介した。すると平尾雅子は、目を丸くして同意を示してくれた。

ああ、そうかあ、フランスの粋人たちの、開かれつつ閉じ、閉じつつ開かれた、不思議な美意識が時代は隔たっていても、符号する部分があるのだ―。

若松夏美の伸びやかで美しい歌を聴きたいと思ってコレッリをもとめたのが、この企画の始まりだったが、それはそれで十二分に堪能しつつも、また新しい美の発見が随所にあった。大塚直哉の、二つの個性的な弦を支える的確な伴奏も、そして、端正で品位ある独奏も武久源造とはまた違う美しさがあった。

ともかく、クープランの面白さを読み解く何かを得たような気がする。それが大きい。何度も挫折した『失われた時』もやがては読了できるだろうか。


聴きに来て下さったみなさま、ありがとうございました。すでに何度も聴きに来て下っている顔がおおぜい見えました。これからも、ごいっしょにいい音楽を聴きましょう。


(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)

2011-07-27

2011夏 キャンドルナイト in いたばし

東京・板橋区でのキャンドルナイト原稿が、
届きました。

すっきり、でも暖かいデザイン。
これはお人柄ですね。


日時: 8月21日(日)  19:30~21:30
雨天の場合8月23(火)に延期

場所:  いたばし総合ボランティアセンター 交流広場(本町24-1)

問合せ:  いたばし総合ボランティアセンター tel.03-5944-4601
担当 若山,神元

2011-07-26

笠岡・丸民さん シャッターアート完成しました



ご案内が遅れましたが、堂々の完成です。(スタートはこちら)
エコっぽくもあるし、なにより爽やか。

カブニつながりでよろしく、です。

2011-07-25

涼しいのかもしれない

ふと気がつくと、7月もあとわずか。

朝、薄曇りの日が多いためか、一日のはじまりが軽快。
去年の夏に較べてすごしやすい、というのは正解?

2011-07-24

足あとに


ホワイトボードに 次々絵を残していく こどもたち

2011-07-22

笠岡よっちゃれの夜2011車両通行規制について

明日7月23日(土) 12:00~23:00 笠岡駅前・県庁通りは
笠岡よっちゃれの夜 開催のため、車の通行ができません。

(地図:笠岡よっちゃれ実行委員会提供。「演舞場」ではないかな;) 


当店へのご来店は、駅前駐車場(市営笠岡駅前広域駐車場)のご利用をお願いします。

2011-07-21

夏休みへの夏休み


部屋の掃除、池の掃除、昼寝。自転車でブラブラ、昼寝。

今日は、本当に久しぶりにゆっくり。

(でも)明日からが、いささかあわただしい。

2011-07-20

今年の卒園

先月末、テンタルの水質がうまく安定せず、まだ小さいかなと
心配しつつも、思い切って池に移しました。

2センチほどに育った5匹を池に入れましたが、水の濁りで隠されて、
その後どうしているかが、不明のままでした。

ここ数日で透明度がぐっと良くなったので、ライトで照らしてみると、
2匹がコツコツ池の底をつついているのが、見つかりました。

暗いので写真はちょっと無理でしたが、大きいのが水面を
横切る中、底でなんとか食べていく逞しさは、頼もしいね。


全部で 4匹確認しました。(2011/7/25 revisited)

うまく増えた2009夏の様子。今でも9匹がそのまま育っている。

2011-07-19

通知表と学校新聞

一学期が終わりました。

期末の恒例行事といえば、子どもの記録の通知表。
そして、僕たちの記録の学校新聞。

2枚重ねて、同じ気持ちで、眺めています。

2011-07-18

時折渡るつよい風

涼しい で 済んで欲しい


笠岡よっちゃれの夜 2003

2011-07-17

Opening Theme〜Bomp Me / GREG MATHIESON PROJECT cover 宗誉楽音@福山ケーブル 20100711



高音質版が再度上がってましたので、アップさせてもらいました。
この「Opening Theme」を作ったのは、僕です。

編集して短くした物ですが、もっと短くてもよかったのかな、
みんな手持ち無沙汰で、すまんことです(;)

有名な「Bomp Me」を聴きにくる方がほとんどなのでしょうが、
自分が作った物がいろんな人に聴いてもらえるというのは、
照れるけど嬉しいね。

brad8723さんに感謝。

2011-07-16

笠岡商店街 土曜夜市が終わりました 2011

早めに思われるかもしれませんが、今夏の土曜夜市が終わりました。

が、実際には来週の笠岡よっちゃれの夜2011へと、 
アツい夏は続いていくわけです。

メインストリート・県庁通りを利用した2005のパレード

2011-07-15

陽の前奏 #5


傷ついた羽を いたわりもせず

2011-07-14

池はみんな元気


ああ、うちの池の太っちょ金魚は、相変わらず元気です。

今日は池の底に埋めてあるかめの中を
掃除したので、水が濁ってしまいました...。 

こっちを向いて「なんとかしろ」、といってますかね。

2011-07-13

太っちょ金魚がいない


連載500回を超えているのに、後から気がつきました。

いえ、特段カメは万年みたいなわけではないのですが、
たまたまカメマンネンで(まあまあ;)。

カウンタも、いかにもなので今まで設置しなかったし、
一日で20,000PVみたいな方々からすると、お笑いぐさなの
でしょうが、皆様の手なぐさみに付けてみました。

僕自身は昨日までのように、休んでいくばかり、です。

2011-07-12

キャンドルナイトは遠く

僕が撮ったキャンドルナイトの写真をチラシに使いたい、
というお話を見知らぬ方から、突然いただきました。

それも近所でなくて、東京・板橋での開催のもの。

昨日はチラシの原稿も送ってくださって、感激です。
後日、仕上がった物をこちらでもアップさせていただこうと
思っています。

静かに嬉しい、です。

2011-07-11

夏の宵店


節電もなのですが、夏ぐらいは夕方ユルいのもよいのでは、ということで、
蛍光灯2400W分を 6時からダウンすることにして見ました。

なかなか別の店みたいで(笑)、まあ楽しんでいただければよいかと。

2011-07-10

陽の前奏 #4


開けた窓から しのびよる 風の暗さ

2011-07-09

笠岡・丸民さんがシャッターアート作成中 #2





おや、だいぶ進んでいますね。背景からゆっくり積み上げてます...。

2011-07-08

創立100周年記念 懐かしの井笠鉄道展 ふるさと交流館・三笠博通さん


三笠博通さんの、鮮やかな油彩画の特別展です。 

あの日、あの頃の思い出が・・・ 92点の油彩画となり、今蘇る!

会期 23年7月1日~8月31日
開館時間 10時~19時 (年中無休)
場所 笠岡シーサイドモール2階 ウエスギ店内

主催 井笠鉄道株式会社
 
協賛 笠岡マルセン開発(株) ・ウエスギ(株)・ふるさと交流館
後援 笠岡市・井原市・矢掛町・笠岡市教育委員会・井原市教育委員会
    矢掛町教育委員会 山陽新聞社・中国新聞備後本社・読売新聞岡山支局
    笠岡放送・井原放送・矢掛放送(順不同)

2011-07-07

ゲラ刷り確認中

昼、散髪から帰ってみると、お休みのお店に
そろりとゲラが届いていました。

学校にもコピーを残して、そのまま届けました。
おっと、明日は三役会だった。

まあ、よく降ったものですね。
水の流れる音がザーと聞こえます。

2011-07-06

「聴く」文学2

「聴く」文学2

 文学はいうまでもなく読むものであり、他人が朗読したものを傾聴する、というのは長いことピンとこなかった。ところが、ふくやま文学館でときどき催される、藤井康治さんの朗読会に足を運ぶようになって、その面白さを知るようになった。朗読そのものの味わいのみならず、何を読むか、それをどう解釈するか、また、それを作家の生涯、時代、社会にどう位置づけていくか、といった多面的な視点から、自由にそして豊かに文学を鑑賞する、刺激にみちた会なのだ。木山捷平、井伏鱒二、宮沢賢治、高村光太郎等々、藤井さんが採り上げる作家たちは、私が必ずしも積極的関心をもっているものばかりではないが、かえってそれゆえに、新しい発見の喜びにいつも出会う。会が終わって、友人たちと近くのジャズ喫茶dootoに行って、文学や音楽の話で盛り上がるのもたのしい。

 さて、そんな藤井康治さんとのかかわりで、紹介したい催しがある。
 チラシにある、「朗読劇 少年口伝隊一九四五」というのがそれだ。井上ひさし作の朗読劇を、藤井康治さんの愛娘康代さんが演出するものだ。しかも、若者組、熟年組という二つのキャストで二回の公演をおこなう。康代さんは、東京の前進座という劇団で演出を担当していた。康治さんは、熟年組のみならず、若者組でも出演する。また、わがジャズ大衆舎のメンバーも参加している。

 広島原爆をテーマにした井上ひさし作の戯曲は、他に「父と暮らせば」がある。昨年三月、尾道のジャズ喫茶「Aトレーン」で麦人(むぎひと)の朗読で観た。武久源造が即興ピアノで加わっていた。あのときは、藤井康治さんと一緒に観た。味わいのある語り口が印象深かった。帰りの車の中で、いつもにもまして康治さんの言葉は熱を帯びていたのを思い出す。

 今回の公演が、康代さんの発案なのか、康治さんのサジェストなのか、それはわからない。いずれにしても、原爆の日を前にして、私たちの街で、この朗読劇が上演されることの意義は大きい。
(全文・主催者)

2011-07-05

和歌山の地震



店の一階にいましたが、いつまでも揺れているような感じがしました。


数分後の余震のせいもあるのでしょうか。

和歌山については、今日こんな報道があったばかり。
中央構造線では、最近とても注目されている場所ですが、
離れていても今日以上の揺れが起こる可能性があるのですから、
当市内の方も、ご一読を。



交通事故死より高確率 中央構造線の地震発生

地震に関する調査研究を一元化しようと設置された「文科省地震調査研究推進本部」などは4日、県庁南別館(和歌山市湊通丁北)で、県北部を東西に走る和泉 (いずみ)山脈を含む「中央構造線断層帯」について、見直し調査後の地震の発生確率などを説明した。
県内市町村、各消防本部の防災担当課の職員約100人 が、今後の対策に生かそうと真剣に耳を傾けた。

文科省研究開発局、地震・防災研究課の地震調査研究企画官、山後公二(さんごこうじ)さんは、和歌山でも地震の被害が懸念される2つの活断層、「金剛山地 東縁」(奈良、大阪など通る)と「和泉山脈南縁」について解説。両活断層に係る将来の地震活動などを予想した「長期評価」がこのほど見直され、変更された点をイラストや表で説明した。

金剛山地東縁は、今後30年以内の地震発生確率が0%から最高5%、和泉山脈南縁は同0・06%から14%と上昇し、日本の主な活断層の中では地震発生の 可能性が高いグループに入ると警告。和歌山市では、それぞれ震度5強、震度7の揺れが予測されていると説明した。

また、火災で死傷したり、交通事故で死亡するなどの確率より、両断層による地震発生の確率の方が高いことを紹介し、「自然災害など他の事象と比較しても、無視できるレベルではない。地震対策を再考するきっかけにして」と呼び掛けた。


2011-07-04

愛をそえて


はばたき第88号、ひとまず編集が完了しました。

印刷屋さんの作業と校正を経て、15日頃、学校に納品される見込み。
終業日に子どもたちの手に渡ります。

が、さぁ、スムーズにそこまで流れますか...。

別に過激なことを書くわけではありませんが、
問題提起や、偏りは少しずつあります。

なんのひっかかりもない新聞なんて、
誰も興味を持たないと思いませんか?

見出しと写真とイラストがきれいなことや、記事の企画が
充実していることなどは、普通に大事だとは思いますけどね。

これ見よがしや、逆に縮こまったりせず、少しずつでも
隠れた声や考えを自然に盛り込むことを忘れたくないです。

2011-07-03

habatak



へっ、iがない? いえいえ。

ほとんど出来ました。あっと、ひとつ。

好きな物を後で食べる僕だけど、原稿はそうでもない。
さすがに果てたので、明日の朝の方がいいかな。

2011-07-02

「聴く」文学1

「聴く」文学1

 6月25日(日)に、福山市立短大に、公開講座「詩人と歌曲シリーズⅦ 北原白秋~抒情への旅~」という催しを聴きに行った。懇意にさせていただいている、同短大教授でソプラノ歌手、平本弘子さんよりお誘いを受けた。講座は、同短大非常勤講師の寺岡壽子さんの講義と平本さんの歌とによって、北原白秋の詩歌の世界を鑑賞しようという趣旨のものだった。

 自分じしんのことをいうと、かなり前に思潮社の「現代詩文庫」で日本の近現代詩を読みあさっていた頃があった。好きだったのは、萩原朔太郎、中原中也、西脇順三郎、高橋新吉、富永太郎、瀧口修造…などなど。叙情詩というより、象徴詩~モダニスム~ダダ・シュールレアリスムが好きだった。北原白秋も、島崎藤村~萩原朔太郎の流れの中でいちおう読んだ。

 「邪宗門」は、典雅で切っ先の鋭い語彙にある衝撃は受けたものの、後年の幾多の嫋々たる、ときに感傷に傾斜した詩編は、若かった私にはさして訴えることなく、その後二十年以上もその詩集を開くことなく過ぎていた…。

 日本の近代詩人の多くが、ヨーロッパとりわけフランス詩からの圧倒的な影響と憧憬によって詩業をスタートさせつつ、一方でままならぬ日常である日本社会で生きることの哀楽をうたった。白秋もその一人であるが、寺岡壽子さんは、どちらかというと、後者の視点からみた白秋を語っていたように思う。まず、白秋の故郷柳河の風俗に焦点をあてる。後年、福永武彦の「廃市」の舞台になったことが語られたが、私には、ベルギーのロデンバックの「死都ブリュージュ」が想起された。新奇さと懐古的な味わい、不思議にその両方感じさせる、いかにも白秋の詩編が語られる。人生の哀切と倦怠、それを彩るような詩句の数々。私が若い頃に通りすがった詩の風景だが、これが同時代の作曲家の手によって、「音楽」が与えられると、まるで別のもののように生き生きした表情をみせるのだ。

 山田耕筰、橋本国彦、團伊玖磨…、名前は知っていたがたいして関心をもったことがなかった、そんな日本の作曲家が白秋の詩につけた音楽の馥郁たる香気を、私は初めて知った。その方面にあかるい方には笑われるかもしれないが、ドビュッシーやラヴェル、デュパルクなどの歌曲を彷彿とさせる瑞々しさ、そして、それらのどれでもない、何かまるで違う生命をも同時に感じられた。

 平本弘子さんの歌唱には、華があった。歌いぶりは、可憐でありながら力があった。語り口もお洒落だった。そして、なにより日本歌曲の美を人々に伝えようという真摯な態度が強く感じられた。かねて、その素晴らしさを語っておられた、理由の一端に触れたような気がした。

 詩はうたわれるものだった。そんなことは承知しておきながら、私(たち)は、詩を活字として読んでいた。すべての詩がうたわれるべきものではないのだろうが、音楽をともなうことによって、詩がまったく新しい魅力を発することを知った。どうしていままでそんなことに気づかなかったのだろうか、帰るみちみち考えた。




(全文・主催者 写真・optsuzaki)


2011-07-01

Not one of..

ポール・サイモンが「Biko」を歌っているのを聴いて驚いたが、
歌詞が微妙に変えてあるところが、一面ニヤリとさせる。