2012-09-30

I was born 再考(その1)



 I was born       吉野 弘

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。
 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の柔軟うごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた
 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
やっぱり I was born なんだね 
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
─I was born
 さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。                       
蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね僕は父を見た。父は続けた。
友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと言って拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげて居るように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。
そんなことがあってから間もなくの事だったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは
   
 父の話のそれからあとはもう覚えて居ない。ただひとつ痛みのように切なく僕の脳裡に灼きついたものがあった。
ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体



    
I was born 再考(その1)

 吉野弘(b.1926)の“I was born”は、名作の誉れ高く、ネット上にも実に様々な感想や作品論が掲載されている。人間の生(性)と死という実存的テーマを正面からとらえようとしているだけに、一度それを読んだ者はだれしも、何かを語りたくなるような、不思議な魅力を持った詩だ。百家争鳴の感のある“I was born”論であるが、この詩を起点としてディープな哲学的思惟を展開するものも多くまったく脱帽するばかりなのだが、一方で、詩人が周到に組織した文学的虚構を、あくまでも詩の言語に密着して読み解こうとする論評については、私をじゅうぶんに納得させるものは、先行研究の先生方にはまことに失礼ながらも、見当たらない。そこで、現在の時点での、私なりの“I was born”論をまとめてみたいという気持ちになった。

父との散歩の事情
 「或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を 歩いてゆくと」とあるが、「宵」とはすぐ後に「夕靄」とあるので、夕方であることはすぐにわかる。さて、その夏の夕方に、「英語を習い始めて間もない頃」つまり、12,3歳くらい、思春期に入りかけた「少年」が、父親と一緒に漫然と散歩をすることがあるだろうか。私の第一の疑問はここにある。むろん無いとは言えまいが、I was born が受身形だという理屈を言って得意がる少年である。ふつうならむしろ、父親とは一定の距離を保ちたいと考える年頃とする方が自然ではないか。ならば、二人して歩いているのには、何らかの事情があると考えるべきだろう。
その事情とは何か。
「寺の境内」という場所、それから、第六連の「父」の「蜉蝣の雌」についての長い語りの後に、不意にあらわれる、「母」の死の話題。それを考えると、亡き母の墓参りであることが導き出される。季節は夏。ならばお盆の墓参りという、父子にとって必然の行事が想像できる。父子の話が長く続き、しかも、最後に母の死が語られることを考えると、墓参りを済ませて帰ろうとしているところだろう。
では、なぜ夕方なのか。
かつての日本の民は、太陰暦でお盆の行事が営まれていた。太陰暦7月15日がそれにあたるが、15日は晴れてさえいれば必ず満月であり、その前後は夜でもかなり明るいのだ。その頃に、先祖の霊を迎えに墓参りに行く、という習慣が各地にあった。私の住んでいる広島県福山市においても、1970年代の記憶であるが、すでに現在の太陽暦でお盆を迎えていたが、かがり火を焚いて、夕方から墓参りをしたという記憶がある。1926年に山形県で生まれた詩人の少年期に、そのような習慣が残っていたとしても不思議ではない。(柳田国男の『雪国の春』の中にこのことの叙述があるのを読んだことがあるが、残念ながらその本が手元に見当たらない。)

「身重の白い女」の表徴するもの
「青い夕靄の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。」
 「靄」であるから、「青い」とは言っても、真っ青ではなく、「青みがかった白」というべきだろうか。「白」と同系色と言うべきかも知れない。「白い女」は不可解な表現だ。「白い服を着た女」「白い帽子をかぶった女」「白い肌の女」、具体的にはそんなことを想像するが、詩人は意図的に詳述するのを拒否している。それは、「青」と「白」の同系色の関係と相俟って、この女のりんかくをあえてぼやかそうという意図のように思える。そして、それがとりわけ「白」であることによって、第六連に父の語りにあらわれる、「蜉蝣の雌」のイメージと繋がらせようとするのである。「蜉蝣」という虫も、その字のごとくはかなく、私たちの日常の視界の中で意識的に焦点を結ぶような存在ではない。「寺の境内」という場所柄、「幽霊」というイメージを喚起するかもしれないが、おそらくそれは詩人の意図するところではないだろう。
「女は身重らしかった。」
「身重」とは「妊娠中」という意味だろうが、それではなぜ「身重」などという古めかしい表現を用いたのだろうか。
父と僕がお盆に亡き母の墓参りに来ていたとするならば、この女も同じ目的であったに違いない。しかし、妊娠中の女がただ一人で夕方に墓参りに来ることがあるものだろうか。ひょっとして私だけなのかもしれないが、男というのは一般的に、女性が妊娠しているのに気づくのに鈍感なものではないか。それが、12、3歳の少年にそれとわかるくらいだから、この女は妊娠後期に入っていると想像してもいいかもしれない。そんな妊婦が、夕方に墓参りするとは、これもまたよほどの事情があるに違いない。いや、それほど墓参りしたいなら、夫と来ればいいじゃないか、そんなことさえ思われる。
そう、そのよほどの事情というのは、他でもない亡き夫の弔い、と考えることができはしないか。もしそうであるなら、赤ん坊は母胎に約10ヶ月いるとするならば、この女の夫は、この10ヶ月以内に亡くなったということになる。ということは、この日が、夫の初盆ということになるのだ。この女にとってのよほどの事情というのはそういうことではなかろうか。
こういった事情を仮想してみると、「身重」という言葉がいかにもしっくりとする。生まれてくる赤ん坊は、生まれた時から父がいない。女手ひとつでどうやって生活していくのか。そんなことを考えると、この母子の身にかかる重く暗い宿命のようなものを感じないわけにはいかない。また、この女の様子を「物憂げに ゆっくりと。」としているのにも納得がいく。更に付け加えるなら、生まれた時から父親がいないことになるこの赤ん坊は、生まれてすぐに母親が死んだ「僕」の存在にぴたりと符号するのだ。父の長い語りのあとにそのことがいささか唐突にあらわれるように思えるが、そう考えると、この女の出現は父の言葉の伏線であり、父へ重大な暗示を与えたということができるだろう。
ここまで想像に想像を重ねるのは、飛躍に過ぎるだろうか。飛躍だ、やり過ぎだと批判するのももちろん自由だし、ひとつの立場だと思う。しかし、吉野弘の書きぶりは、私にとってそういった想像を呼び込むような、不思議なファンタジーがある。またこのように考えていく方が、より深く納得することができるのだ。それが詩の詩たる所以ではないか。それは、たとえるなら、バッハの、ヴァイオリンやチェロのための独奏曲において、演奏の技術上、作曲者が描き得なかったポリフォニーを、想像してみるのとよく似ている。


















(全文・主宰 写真,改行・石原健)

2012-09-29

草叢なら知っているはず





人の声が 一人ひとり違うように

虫の声も きっと少しずつ違うんだろう


誰もが聞き惚れる 不世出の歌手は 誰


2012-09-28

え、旧ツザキのディスプレイって


35年くらい前の、旧店舗のディスプレイですが、
あれっ、と思われた方はお目が高い。

そう、お気づきのとおりです。このディスプレイは移転後の
現店舗でそのまま使われています。

今の店舗を設計するときに大事にしたのは、
馴染みがある動線は残す、ということでした。

見てキレイなお店はもちろん大事なのですが、見渡しやすく
選びやすいという基本の部分は、そう変わるものではない
と思います。

店舗内のカウンターや加工室のレイアウトも、そんな流れを
大事にした上で、使いやすく改良を加えたものですので、
久しぶりのご来店でもどこか懐かしい、と時々言われます。

ということで、今の様子は、こちら。


2012-09-27

昼ごはんのネットワーク

お昼前まで、自転車でぶらつく。良すぎる、良い天気。

やっとこんな感じで、のんびり走れるほど体の調子が
戻ってきた。腰ももう心配ないだろう。


馴染みの中華料理店に行くと、座敷で若い人が4人
座っている。じっとこっちを見ている感じ。

その中のお一人が親しげに声をかけてくださる。

ああ、商店街の集まりでお世話になっていた番町商店会の
方だったんだ...。最近は息子さんたちがラーメン屋さんを
始めているんだった。

こうしてお店同士が行き来するというのは、とてもいい事だと思う。

Facebookで市内の飲食店を紹介するイベントが始まっていて
懇意な店については、僕も時々コメントしている。

最初、不思議だったのは、その息子さんが僕の顔を
知っているような様子だったのだが、そっか、そんな記事を
読んでいたのかもしれない。

リアルで人同士がであうことは、コメント以上にスリリングだ。


2012-09-26

かなうらへんろのこと

今日は、いつも拝見しているBlogをあらためてご紹介します。

かなうらへんろ

金浦八十八ヶ所霊場  フルーティスト まきたかしブログ


地元・金浦にある八十八ヶ所霊場の紹介をタイトルに
冠していますが、種々の書き込みのあるフィールドワークの
ノートのような世界が広がります。

氏の興味や好奇心は、「見過ごされそうなもの」、
「忘れられそうなもの」に、穏やかに注がれます。

遠く自転車で移動される中、ふとペダルをとめて立ち止まり、
手のひらにそっと草や虫を収めるような氏の暖かさが滲む、
そんなBlogです。

金浦の冬

2012-09-25

後期の文化広報部が始まりました

12時半から一時間という変則的な時間で、後半戦の部会が始まりました。
参観日の今日、参観時間の前に集まろう、ということでした。

部員の皆さんとゆったり話をしたい、という気持ちもありますが、
なかなか。仕事の合間に出ると、やはりせわしいデス。

まあ、1つずつまた進んで行きましょう。
なんどかペチャンコな気分になりながら(笑)


2012-09-24

swing-by



どこまで遠くへ放り出されるか 

加速のかかる 命のスイングバイ 


2012-09-23

武久源造チェンバロ&オルガンリサイタルのご案内

クリックすると大きくなります

武久源造チェンバロ&オルガンリサイタル

チェンバロリサイタル
2012年11月18日(日) 17:00

日本キリスト教団 福山延広教会

オルガンリサイタル
2013年1月13日(日)17:00

カトリック福山教会

鑑賞料/ 2公演券3,000円 1公演券1,800円  高校生以下1公演につき500円


 切符のお求めは、延広教会、カトリック福山教会、スガナミ楽器、
 jazz inn dooto にて

主催・問合:コンセール・ジャズ大衆舎
 
e-mail: chopin-in-salsa@kba.biglobe.ne.jp

2012/10/19 revisited
ご本人による手引きを追加しました。

2012/12/11 revisited
演奏曲目を追加いたしました。

2012-09-22

第9回笠岡百縁笑店街・百円商店街いよいよ明日

23日・9:00~15:00 笠岡商店街一帯で、
第9回笠岡百縁笑店街(百円商店街)、開催です。

当店では...



はい、予定より少し多くできました。
こちら、驚きの100円、です。








それと、店頭告知...

さて、こちら、手作りタイラバって何、と思われたら実物をぜひ一見(笑)!


2012-09-21

イーサハブはぶてる


一昨日、お店のネットが、突然繋がらなくなりまして。

と、同時になんか溶けたような匂いが...。
8ポートのハブが終わってました。やれやれ。

スネることをこのへんでは「はぶてる」といいますが、
休み明けの今朝ほど、替えが届いて一件落着。

16ポートもありますが、そんなには要らないですけどね。
これまた古くてギガビットではありませんが、ウチの使い方では
まあ充分でしょう。

こういう小物は、そんなに予備の手持ちがないので、
意外といらだつときもあります。

2012-09-20

ちょっと掃除にムキになった

母親が足を骨折したのは、もう数年前のことです。

何故骨折したかというと、杖の練習を表の歩道で敢行して、
四点杖の先を滑らし、転倒してしまったからなのです。

以来、自走式の電動車いすで、いつも移動するようになったの
ですが、それは徐々に歩行が不安定になっていたことからすれば、
いつかは待ち受けていたことなのかもしれません。

元々お元気な方にとっては、しだいに歩きにくくなることは、
受け入れ難いことでしょう。しかし、母にとっては幼少の頃からの
ことなので、同じご年代でも、受け止め方や感じ方は少し違うように
想像します。

とはいえ、そんな転倒の原因となった歩道脇の「ヌメリ」は
以後、長い間僕の中の解決したいことの一つでした...。

7年前ですでにこんな様子なので

そして、この夏、念願の高圧洗浄機を買い求めたのでした。

予想以上によく落ちるには落ちましたが、広い範囲を掃除するには
回転式の噴水装置のついた別途アダプターが必要と感じました。

先日、やっとそれが入荷し、今日いよいよ徹底的に掃除しました。
お昼過ぎまで、約2時間半、我を忘れて取り組みました。


ところが、掃除をしている時は、少し疲れたという程度だったのに、
家に帰ると腰が痛くなり始めました。今日はPTAの三役会があるので、
そろそろ出ようと思ったものの、まっすぐ背筋が伸びません。

なんとかお店で用事を済ませ、出入口に目をやると、例の母の
四点杖とは別の軽量なタイプが立てかけてありました。
いささか目立つのは仕方ないけど、これで今日は行ってみよう...。

案の定、学校につくと先生も役員の皆さんにも、心配をかけることに
なったのではありますが、なんとか会議には間に合いました。


母の入門編の杖であっても、今日の僕にとっては、とんでもなく便利で
大きな安心感でした。でも、掃除の後にこれを使うことになるなんて、
どういうめぐり合わせなんでしょうね。

2012-09-19

お片づけ


散らかった言葉の お片づけも しないとね

忘れていると 踏んで 痛いのも 自分

2012-09-18

Romance

娘がギターを弾くというので、チューニングしました。
音楽の時間に、友だちとデュオでやるんだそうです。

今は東京に住んでいる(らしい)懐かしい友人の、置き土産。
ありがとう、こうして時々誰かが奏でてます。

たどたどしくても、はじめて弾きたくて弾く音色は、
静かに沁みてきますね。

2012-09-17

第3回スーツ男子見学会 in Nebuto-ya


第3回スーツ男子見学会 イン ねぶと屋

2012-9-23(日)    参加条件 男子:スーツ 女子:ポニーテール
             Fee 3,500yen  FreeDrink & Foods

10月に2周年も控えてる、ねぶと屋さん。
スーツ男子見学会も、今回はしっとり大人のムードでどうぞ。

!

都合で中止となりましたが、通常営業です。

2012-09-16

風の前に

という事でもないのですが、今日はご来店が続きました(感謝)。

23日の、第9回笠岡百縁笑店街(百円商店街)の準備で、
おなじみサングラスを量産中。秋向けカラーです。
今日はざっと半分できました。


徐々に風が強くなってきていますが、今日は帰ったら
我が家の周りを確認しとかないと...。

まあ、たぶんボクはとばないですけど(笑)。

2012-09-15

スッゴい目



相当に強いようですね、皆さんご注意を...。

2012-09-14

笑顔こそ入選



 上の娘が第16回全国きものデザインコンクールのジュニアの部で
入選したと、嬉しそうに帰ってきました。

得意そうに見えた運動系でなく、美術部を選んでからは、
どこか自信のない言葉が多かったんですが、吹っ切れたような
感じです。




2012-09-13

とまりぎ


羽を休め

それぞれに 飛んでいく

2012-09-12

三原直美 アニバーサリーコンサートのご案内


三原直美 アニバーサリーコンサート
福山YMCA オリビア合唱団とともに

2012年10月7日(日)

広島県民文化センターふくやま

開場:13:30  開演:14:00

全席自由 1,000円


曲目

フォーレ: 蝶と花 op.1-1   月のひかり op.46-2

吉岡弘行: 児童のための合唱組曲「虫の絵本」

童謡・唱歌四季のメドレーより「秋」のメドレー

中田喜直: 童謡曲集 女声合唱より

ヘンデル: オラトリオ「メサイア」HWV.56 より

ほか

ソプラノ  三原直美

ピアノ  牧 隆
指揮  吉本 素

福山YMCAオリビア合唱団 福山中央合唱団
女性コーラス華の会 福山バッハゾリステン

主催/三原直美アニバーサリーコンサート実行委員会
後援/福山市教育委員会 福山YMCA びんご文化力を繋ぐ会 エフエムふくやま
協力/K&A
お問い合わせ/084-947-4072(三原) 0865-63-6438(牧) 084-752-2810(亀高)

2012-09-11

PC-98とPR-101


私どもの顧客管理のパソコンはPC-98からの歴史です。

1988年に導入したPC9801-UV11に始まり、折々でマシンが
変わっていったものの、最終は先日まで印刷時に実用稼働だった
PC9821-Ld(B5ノート)。特注の当店専用ソフトをのせていました。

データのテキスト掃き出しが、郵便番号の7桁に対応させることが
出来なかったため、つい最近まで、PR-101Gとの組み合わせで
宛名印刷に使用していました。

さすがにドットプリンターのリボンの調達が難しくなった上、
本体のメンテナンスも、自前では限度を超えてきたので、
手作業で7桁郵便番号を再入力し、とうとうWinXPへ移行しました。

導入時、2年近く掛けて毎日基本データの入力したことを思うと、
同じ事を再入力しようとはなかなか思えませんでした。

情報を取り巻くのは、圧倒的容量と高密度な現在ですが、
お客さんとの最も大事なコミュニケーションは、不変です。

帰笠以来、走り続けた今までを少し振り返りながら、
長い間大事にして下さった皆様の来店記録の重みを
再認識しています。


2012-09-10

2012-09-09

笠岡地区まちづくり協議会通常総会・研修会

中央公民館4階で、13時半から16時過ぎまで。

板挟みになる職員と役員、この構図を打破するには
誰が、どうしたらいい?



 

2012-09-08

2012/09/08 安芸灘の地震


当地では震度1。意外と気がつきにくかった感じです。

2012-09-08 10:41:27 安芸灘 33.9N 132.3E 深さ42km マグニチュード5.0

2012-09-07

日傘とカメラ

明日は、上の娘の運動会。

紫外線よけの大きなパラソルを用意する家内。

カメラも用意してくれと言われ、安心な一番古いのを渡す。
何かあっても諦めがつく(笑)から、というのもあるが、
実は、使ってはレスポンスが一番早いモデルでもある。

とーさん無しで、申し訳ないね、みんなガンバレ。







2012-09-06

あの「鯉」はどうなった


2週間経ちましたが、とくに目立った変化がないので、
昨日、全部ウチの池に、入れました。

え、なんで、「鯉は飼わない」っていってたのに?

一匹一匹チェックしていったのですが、
なんと全部「金魚」だったんです。

いかにもカラフルというのもあって、「鯉と思われる魚」と
書いたのですが、まさか全部そうではなかったとはね。

池に移された新入りたちは、センパイに時々威嚇されながら
水草の下へ散って行きました。


ところで、今年の産卵なんですが、去年アナカリスが
枯れずに越冬したので、そのままにしておきました。

春以降、目立った産卵が、二度ありました。

例年は卵を食べられないように、テンタルに引き上げるのですが、
産卵後も完全に放置してみました。水が澄む梅雨時期まで、
どうなったかは不明なままだったのですが...、


夏頃には2,3センチに大きくなった稚魚が、水草から離れて
ちらほら見られるようになりました。その数、14匹。
結局、今まで最多の成育結果となりました。

食われても、逃げ残るくらいだとやはり逞しい。
まあ、何事も過保護は禁物、というところでしょうか。

その上、一日中水草をずっと食べ続けてますから、成長も早い。
このあたりはさすが池のパワー、水槽(テンタル)とは比較になりません。

転校生+新一年生、全部合わせると50匹を超える大所帯となって、
池は秋に向かいます。

2012-09-05

アシナガバチの巣


我が家の裏口を出たところに、蜂の巣ができていることに
最近気がつきました。

刺されたら痛いし毒も危ないですが、いつの年だか一円で群発した
キイロスズメバチのように、ブンブンと攻撃的ではないので、
子どもたちにも素通りするようさせています。

巣の下で寄り添ってとまる様子は、そっと家を
見守っているようですしね。

2012-09-04

季節の端境

さすがに暑かったので、散歩を夕食後にしてました。

さて学校が始まったのに合わせたいものの、
なかなか朝に戻せないです。

どこかで、ヤッ、と切り替えたいのですが、
うまくいかないなぁ...。

距離をある程度歩くことと、登校コースがあわないというのも
ありますが、なにか違った目標がいるかな。

いや、脅迫的な“数値”でなくてね(笑)。



2012-09-03

くろねこ



本歌取り? 最近あちこちにあるので、ついお題かと(笑)

2012-09-02

『大いなる時を求めて』(梁石日著)を読んで

『大いなる時を求めて』(梁石日著)を読んで


梁石日(ヤン・ソギル)の小説『大いなる時を求めて』(幻冬舎2012)を読んだ。この小説は、在日朝鮮人の詩人金時鐘(キム・シジョンb.1929)をモデルとして、その半生を、具体的には出生から1950年代の終わりくらいまでを、ほぼ忠実に描いている。この時代の、日本と朝鮮、そして東アジアをめぐる政治状況は激動を極めていた。いまだ一般には知られていないような事件、たとえば『済州島4・3事件』、も少なくない。その中を、金時鐘は生きた。小説では、そういった時代・社会の変動を的確に描きながら、元山(ウォンサン現北朝鮮)に生まれ、日本の植民地支配下皇国少年として成長し、日本の敗戦=「解放」以後民族主義に目覚め左翼活動に身を投じ、やがて、済州島の動乱を避けて日本に渡って、在日という視座から日本語で詩作を試みるという、ダイナミックな金時鐘の思想的営為を見事に辿っていると言えるだろう。1950年代に金時鐘が主宰した、在日朝鮮人による文芸誌『ヂンダレ』そして『カリオン』の同人であり、詩人と長年にわたる深い交流をもってきた、梁石日だからこそ描きえた小説だ。
 
238ページという分量は梁石日にしては短い。部分的にはもう少し詳しく描いて欲しいと思う箇所もあったし、済州島からの渡日の状況などは、金時鐘自身の証言『なぜ書きつづけててきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(金石範との対談)(平凡社2001)とは異なるところも散見されたが、あくまでも小説という枠組みであることを考えると、納得しうるものであった。
詩集『失くした季節』(藤原書店2010)で高見順賞を受け、新聞各紙に報道された。また、『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』(細身和之著・岩波書店2011)のような、本格的な研究書も出た。ここへきて、金時鐘が一般の読書家にも読まれるようになっているようだ。
その意味で、金時鐘の半生と思想を知る上で、『大いなる時を求めて』は格好の入門書と言えるかも知れない。
 
今年、東京のある出版社から、一詩集一冊という体裁で『金時鐘コレクション』というシリーズ本が出版されると聞いたが、実際に出版されたとはまだ聞いていない。『集成詩集原野の詩』(立風書房1991)が入手困難になっているこんにち、初期~中期の金時鐘の詩業に実際に触れるためにも、早期の出版を期待したい。
























(全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)

2012-09-01

あゝはやく 九月になれば

ポリオの予防接種が、今日から現行の生ワクチンをやめ、
不活化ワクチンに変わった。

生ワクチンには、病原性が残っているため、
100万人中約1.4人にまひが起きている。

春以降、この日を待って接種率が下がっていたのは心情的に
自然なことだが、一方で「空白の半年」が続いていた。

何故もっと早く、を問っても、血の通った返答はあるまい。

自らが味わった悲しみを繰り返してほしくないと願う患者たちは、
ただ秋を待ち続けていたと思う。

~ 誰もあなたの代わりになれはしないから