笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-10-21

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part4

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part4
武久源造 
 
今回は、少し観点を変えて、『インヴェンツィオン&シンフォニア』と『ゴールトベルク変奏曲』との関連についてお話しましょう。

バッハが『インヴェンツィオン&シンフォニア』を作曲していたのは、ほぼ1722年前 後のこと。そして、ちょうどその20年後の1742年に、『ゴールトベルク』が出版された。20年を隔てたこれら二つの曲集の間には、いろいろな連関があります。『ゴール トベルク』は、一つの変奏曲ですから、そこには当然筋書きのようなものがあり、終わりに近づくほど、徐々に緊張を増してクライマックスに到るような急進力がビル ト・インされています。しかしながら、本来は独立した曲の集まりであるはずの『インヴェンツィオン&シンフォニア』も、これを30曲の連作として弾いてみると、そこに、明らかに、あるクライマックスを志向する筋書きを感じ取ることができるのです。


とはいえ、実際の音を聴いていると、そうは思えないという人が多いかも知れません。 何度も言うようですが、『インヴェンツィオン』と『シンフォニア』はそれぞれ15の異なる調による15曲からなる曲集です。したがって、これを順番に演奏していくと、曲ごとに常に調が変わることになります。この点、『ゴールトベルク』とは正反対のデザインです。『ゴールトベルク』では、変奏曲という物の性質上、全曲は基本的に、同じ調、即ちト長調上で推移します。(例外的に、2曲だけト短調に変わりますが。)この点、確かにかなり異なる印象を与えるのは確かです。


しかし、一歩その内容に踏み込んでみると、そこにはかなり明確な共通点があることに、我々は気づく。 例えば、『ゴールトベルク』は、30の変奏が続いてはいますが、それは明らかに前半15曲と後半15曲に分けられています。それを宣するかのように第16局に『序曲』が置かれています。それを境に求心的な前半と遠心的な公判が入れ替わる、というデザインです。これを考えるとき、バッハが『ゴールトベルク』を構想した際、『インヴェ ンツィオンとシンフォニア』が念頭にあったことは、まず間違いない、と思えてきます。『ゴールトベルク』同様、続けて弾いていると、求心的な『インヴェンツィオ ン』 と遠心的な『シンフォニア』、つまり、前半と後半の対比、という同じ図式が見えてくるからです。 バッハは『インヴェンツィオン&シンフォニア』では、15の長を用いて、30の異なる 主題によって、様々な作曲技法を展開して見せたのでしたが、『ゴールトベルク』で は、一つの調、一つの主題、一つの和声進行によって、さらに多様な30曲を創った、 というわけです。


ここらで、少しばかり、具体的な内容に立ち入って、これらの曲集の共通点についてお話しましょう。 『インヴェンツィオン』の第2番では、かなり厳格なカノンの手法が用いられています。つまり、ここでは右手が先に出ますが、やや遅れて左手が、オクターヴ下で、全く同じ楽想を奏するのです。これは、専門用語で言えば8度のカノンということになります。ご案内の通り、『ゴールトベルク』には9曲のカノンが出てきますが、そのうち第24変奏が、この8度のカノンになります。


『インヴェンツィオン』以後バッハは、様々な作品に時折カノンの手法を用いていますが、鍵盤のための純粋なカノンとなると、結局彼は、以外にもその後の20年間、一 曲も書いていないのです。そして、『ゴールトベルク』に到って、バッハは再び、鍵盤のためのカノンに集中的に取り組んだというわけです。


また、『シンフォニア』の第9番は、バッハの生み出した自由鍵盤曲(オルガン・コラールのように特定のテクストを持たない作品)の中では、最も宗教的な悲しみを湛えた作品だと言えるでしょう。ゆっくり下降する半音階、そして、溜息をつくように 2度下がった後間を空けるいわゆる溜息音型が、ここでは執拗に繰り返されます。これらの音型は、バッハの教会カンタータや受難曲、ミサ曲などの重要な部分で、必ず といっていいほどしばしばお目にかかる慣用句です。この音型を聴けば、直ちに、 「あ、誰かが死んだんだな」と思っていいほどです。(そして、この「誰か」というのは、たいていキリストのことなのですが) 実際バッハは、カンタータやオルガン・コラールなどで、歌詞の内容は喜びを歌って いるのにも関わらず、バックの伴奏声部に、この溜息の音型をやらせたりする。そういう場合、バッハは「この喜びの陰には、キリストの犠牲があったのだ」ということを、我々のために、密かに告げているわけです。そういうわけで、これらの音型は、 宗教曲には欠かせないものなのですが、宗教曲でも何でもない、鍵盤作品にこれほど 集中的に、この種の悲しみの表現が出てくる、というのは珍しい。ここまで読まれた 方の中には、「ちょっと待ってくれ。あれはどうなんだ?」と思われた方がいらっしゃるかも知れませんね。そうです。またしても『ゴールトベルク』です。第15変奏。 あれこそは、まさに溜息のオンパレードです。バッハがあれほどしつこく溜息を繰り 返しているからには、何らかの宗教的内容を暗示しているのに違いない、と私は考えているわけですが、あそこに、この『シンフォニア』の第9番が木霊しているといっていいでしょう。


そのような例はまだあります。『シンフォニア』の第7番。冒頭に宣言される主題は 上向短6度の音型です。これもまた、バッハが実にしばしば用いた「嘆きの音型」です。有名なところでは『マタイ受難曲』のペテロの悔悛のアリア、『ヨハネ受難曲』 のキリストの死後に歌われるソプラノの慟哭のアリアなど、枚挙にいとまがありません。しかし、バッハは鍵盤曲では、あまりこれを用いない。それが、またまた『ゴールトベルク』。今度は第25変奏において、あたかも満を持して登場するかのように、この嘆き音型が集中的に現れるのです。


ここに挙げた溜息音型や嘆き音型などは、いずれも、この解説のPart2で述べた音楽修辞学の伝統において培われたものです。こういう音型をドイツ語でフィグール Figurと言い、これを教える理論をフィグーレンレーレと言いました。バッハの従兄弟に当たるヴァルターも、音楽修辞学に関する大部の著書を著しており、そこで、このフィグールについて詳述しています。バッハ自身は、そうした文章は一切残してい ないのですが、彼が当時の誰よりもフィグーレンレーレに精通していたことは疑いの ないところです。


20年を隔てた二つの作品群の間の緊密な関連! ここから、我々は、バッハの人生について、何を読み取ることができるのでしょうか。 




(全文・武久源造 写真,改行・optsuzaki)