笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2013-01-18

高橋悠治1986



高橋悠治1986


 初めて高橋悠治のライヴにかかわったのは、19868月のことだった。このときは、ピアノ・ソロであった。広島リアルジャズ集団のメンバーであった私は、高橋悠治の演奏を生で聴くのも、その姿を直に見るのも初めてのことであった。だから、ひどく興奮して迎えたのを憶えている。

 会場は、広島YMCA国際文化ホール。昼過ぎに会場入りした高橋悠治は、カーキ色のTシャツによれよれの白の綿パン、それに素足にサンダル履きという軽装で、対してスーツ姿のマネージャー氏がひどく滑稽に見えたほどだ。

 本人の話によると、広島へはそれまでに反核集会で来ただけで演奏は初めて、ということもあったのか、300人余を収容するホールはいっぱいになった。客の入らないフリージャズのコンサートばかり催していた私たちは、その光景に目を白黒させたものだ。

 演奏の細部はもう記憶の彼方だが、その時の衝撃はいまだ忘れられない。

 コンサート本番の高橋悠治は、会場に着いた時と同じ軽装のままステージにあらわれた。お客さんにはクラシックのファンが多かったのだろう、その姿に軽いどよめきがおこった。コンサートの前半は、「ショパンとシェーンベルクの間に」と題されていた。すなわち、ショパンの「ノクターン」3曲と、シェーンベルクの作品11の「3つのピアノ曲」とを、交互に演奏し、しかもショパンとシェーンベルクの間に、短い即興演奏を挿入するというものであった。コンサートのプログラムさえ作っていなかった私たちは、300余人の客とともに、この不敵なほどに大胆で自由な発想と、起伏に富んだ演奏に、度肝を抜かれたものだ。これが40分を超える組曲となり、わずかの瞬きも赦さぬほどの緊張を、聴く者に強いた。

 YMCAのホールは、デッドな乾いた響きであった。まるで残響の無い剥き出しの音が、その日の演奏に似つかわしく思えた。

 打ち上げは、いまはとっくになくなっている「クエスト」という電車通りに面した地下のライヴハウスだった。リアルジャズ集団が当時拠点にしていた場所で、演劇や美術をやる人もよく集っていた。この頃盛り上がりを見せていたパンクのライヴもここでよくやっていた。

 高橋悠治と会話が成立する人間は誰もいなかった。今はそんなことはないのだけれど、当時の彼は、見当外れの質問にはそっけなかった。そこにいる者に気を遣って、柔和に話しかけることもなかった。でも、私にはそれがカッコよかった。















(全文・主宰 / スクラップ,改行編集・optsuzaki)