笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2013-01-21

高橋悠治1988



高橋悠治1988



 高橋悠治ソロの翌年、広島リアルジャズ集団は、「サミット」と題した一大即興セッションを企画した。当初の計画では、ネッド・ローゼンバーグ(as,bcl,fl)、デレック・ベイリー(g)、高橋悠治(p)、豊住芳三郎(perc)という、文字通り即興音楽の巨頭たちが集う、豪華なライヴであった。しかし、この企画はたいへんな紆余曲折に見舞われた。まず、ネッドが都合が悪くなり、早い時期にキャンセルし、ジョン・ゾーン(as)にかわった。まあ、これはいいとして、ライヴ直前になって、そのジョンがドタキャンを申し出た。これには、リアル・ジャズ集団の主宰者Sさんは激怒した。ジョンのかわりに、急遽ペーター・ブレッツマン(ts)と小杉武久(vn)が参加し、これはこれですごいメンツが集まったのだが、Sさんの怒りは収まらない。もっともなことだ。

当時、私はリアル・ジャズのレギュラーなメンバーから外れていた。それだからか、Sさんの怒りはわかるが、ジョン・ゾーンが加わっていたらもっともっと面白かったろうになあと、じゃあ自分の手でジョンを招こうかという気持ちに傾いた。そこで、その頃のリアル・ジャズの友人二人とともに、新たに「正解本舗」なる団体を立ち上げて、ジョン・ゾーンのライヴを計画することにした。

 当時ジョン・ゾーンは、ニューヨークと東京をしょっちゅう往き来していた。東京にも小さなアパートを借り、電話も敷いていた。メールなどという便利なものはなかったが、これはたいへん助かった。しかも、ジョンは日本語が堪能ときている。

 私たちは、ジョンにデュオのライヴを提案した。ジョンがそのパートナーとして挙げた候補は、フレッド・フリス(g)、近藤房之助(g,vo)、そして高橋悠治だった。私たちは、迷うことなく高橋悠治に頼みたいと申し入れた。

 ちょうど、ドイツ製のいいピアノがあって、120人くらい入る、しかも料金が割安のホールを見つけたので、ここがいいなと思って、高橋悠治に連絡したところ、その返答は次のようなものだった。

 「今回は、ピアノは弾かない。かわりにサンプリング・モジュールを用意して欲しい。」

どひょーん!これには困った。

1990年代に入ると、サンプラーが安価に流通し、たとえば大友良英がそれを見事に使いこなしていたが、1988年の時点で私にはまったくの初耳であった。どうやら、パソコンと繋いで採取した音を加工して出力するする代物らしい。業者に問い合わせると、広島には無い、大阪からの取り寄せで20万円かかる、と。

でも不思議なもので、どういう経過で知り合ったのかさっぱり憶えていないのだが、それを持っている人がいるとの情報を得た。平身低頭して、ライヴの日だけそれを借り受けることに成功した。

しかし、もう一つの難題は、これの音を出すための、PAを用意しなければならないということだ。いっそ、ライヴハウスを借り切ってしまえばいいのだが、当時はバブル絶頂期、きちんとした音を出してくれるライヴハウスは、借り賃が高かった。ともかく、安くあげるために、まず会場は、広大工学部跡地にオープンしたばかりの広島県情報センターの地下にある会議室を、「音の小さいジャズのコンサート」と偽って借りた。会議室とはいっても、わりあい天井が高く、しかも200人くらいは入れるほどの広さだった。PAは馴染みの照明屋さんに自前の労働力を提供することを条件に用意してもらうことにした。かなりでかかった。

準備は整った。

ライヴ当日、広島駅へ二人を迎えに行くと、なぜか二人とも嬉しそうにはしゃいでいた。会場へ向かうタクシー車中、ジョンは「悠治さん、今夜はビ・バップ・ナイトだぜ!」と。高橋悠治は、とにかくにこにこ笑っている。

不思議だ。でもこちらも嬉しくなった。はたして、ビ・バップ・ナイトになるのか?

Yuji  in Tokyo Music Joy '87

ライヴでは、ジョン・ゾーンがビ・バップふうのフレーズを吹奏することはあったが、ちょっとしたアクセントにしか過ぎない。ジョンのサックスは、ノイジーでかつパワフルで乗りにのっていた。お茶目で勇敢でそしてどこかブルージーで、どこかアニメヒーローの活躍を思わせて、にやりとさせる。


 高橋悠治の出す音を何と形容してよいのか、いまもって言葉がみつからない。楽器の出す秩序ある音を楽音とするならば、そんなものはまったくなかった。動物の声やさまざまなノイズ、それらがジョンの飛翔するサックスを包み込む。それは、天空に掲げられた詩というほかない。「銀河鉄道の夜」、サン・ラ、ボアダムス…。

 ライヴが終わって後片付けをして、事務室に挨拶に行ったところ、職員はいっぱしの渋面をつくって、「もうあんなやかましいのは、貸せん!」と言い放った。おおかた隣の部屋にでも響いて苦情が出たのだろう。

 「サンキュー、おっさん! 二度と借りることはないぜ!」とは言いはしなかったが、そういうケチを付けられたのが、無性に嬉しかった。

 ところで、高橋悠治がこの日に使った音源のいくつかはCDで聴くことができる。「高橋悠治/リアルタイム5 翳り」(fontecFOCD3190 いまはタワーレコードから再発されている)である。高橋悠治のレコードに面食らったのは少なくないが、ふつうの音楽ファンである私にとって、蓋し、これは奇盤中の奇盤というほかない。

(全文・主宰 / スクラップ,改行編集・optsuzaki)