笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2013-08-07

アーサー・ビナード氏の講演 / ジャズ大衆舎 on web #19

アーサー・ビナード氏の講演

 8月5日(月)、広島平和記念聖堂で、アーサー・ビナード氏の講演を聴いた。「原爆飴と無知」という、たいへん皮肉っぽく辛辣な演題である。

 ミシガン州に生まれで日本語でも創作するアメリカ人の詩人、ハイブリッド的というよりも、英語・日本語、双方からの批判的な言語感覚が面白い。その例として、”Atomic Fireball”という、アメリカに在住経験のある者なら誰しも知っている、飴玉を紹介する。わざわざ200個分をアメリカより取り寄せ、会場の聴衆に配るというオマケ付きである。私もいただいて早速口に入れてみた。強烈なシナモンの辛さが口を満たす。美味いとは言い難いが、1954年に発売されて以来のロングセラーだという。

 さてそこで問題なのは、”Atomic Fireball”ということばのもつイメージである。日本語に訳すと、「原爆の火の玉」ということになる。日本に住む私たちとしてはとても許容できないネーミングだ。しかしながら、アメリカ人の多くがもつ”Atomic”のイメージは、「やべえ」とか「すげえ」くらいのもので、これは、アメリカ政府が、「原爆は素晴らしい」「戦争を早く終わらせた」という、ペテンのキャンペーンによって定着したものだという。

 私は、聴きながら、カウント・ベイシーの「アトミック・ベイシー」というタイトルのレコードを思い出した。あのレコードのジャケットには原爆のキノコ雲がでかでかと写し出されていた。なんとも、ひどいブラック・ジョークかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 また、たまたま講演に出かけたシカゴのとあるお菓子屋さんで、ビナード氏は、”Atomic Cake”なるものを見つけた。他のケーキよりも一回り大きく、たいへん人気があるという。

 いずれも、アメリカ人が政府の情報操作によって、”Atomic”を、肯定的にとらえた例だ。 

 “Atomic Bomb”を「原子爆弾」とするのは、あたりまえの、そのままの日本語への訳語だとしつつも、被爆の現場にいた人々からは遠いことばだ。ビナード氏は、広島へ来て学んだことばとして、これに「ピカ」という語を対置する。

 さて、ビナード氏は、講演の後半に、広島の原爆と長崎の原爆を、きちんと区別しなければならない、と提唱する。広島型のウラン235を原料とした原爆は1942年末には技術的に製造できる状況にあった。原爆の使用が戦争を早く終結させるためであるなら、これを早期に使用したはずである。ところが、アメリカはこの爆弾を使うのを見合わせていた。

天然のウランのうち、核兵器として使用できるのはウラン235であるが、これは0.7パーセントに過ぎない。残りの99.3パーセントにあたる、ウラン238は使えない。ところが、このウラン238に中性子をぶつけることで、より強力な破壊力をもつプルトニウム239ができる。アメリカは、このプルトニウムを使った原子爆弾を、早期に開発し、日本との戦争の中で試してみたかったのだ、という。そして、それがようやく完成したのが、1945年夏であった。

アメリカは、長崎に投下されたプルトニウム239を用いた原爆を試すために、日本との戦争を引き伸ばしていた、とビナード氏は語った。そうしてみると、沖縄戦はまさに戦争引き延ばしのための方便にしか過ぎなかったのか。また、ウラン235を用いた広島原爆は、長崎原爆のついでのようにもとらえられる。

 「原爆の使用が戦争を早く終結させた」という論理を初めて聴いたのは、いつだったろうか。胡散臭い欺瞞のにおいをはじめから感じてはいた。しかし、こんなからくりがあったことが暴かれると、また新しい憤怒が身内におこってくる。

 講演について時間的な制約があったのだろうか、論証にあたる部分がやや弱いとは感じた。それにしても、真実を見抜く、明快な視点を与えられたようで、不思議な勇気にみたされた。




(全文・主宰 写真,改行・石原健)