笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2014-05-05

鞆の津ミュージアム 『ヤンキー人類学』 / ジャズ大衆舎 on web #28

鞆の津ミュージアムに『ヤンキー人類学』という企画展を観に行って来た。

ポニョと龍馬で有名な(などとまとめると叱られるか、でも今回はそれくらいの強引さは許容されるべき)観光地、鞆の浦にある古民家を改装したこの美術館は、おいそんなのありかよ!?と思わず叫んでしまうような展覧会を次々と催していることで、一部ではかなりの人気を誇っているようだ。そういった、言わば、仰け反り企画の頂点と断言してもいいのが今回の『ヤンキー人類学』だ。

ヤンキー……、1970年代~80年代に中学・高校時代を送った私にとって、いかにも恐ろしげで決してかかわりを持ちたくないと傍観しながらも、それでいてそこはかとない憧憬を抱かせる存在であった。この不思議な心象に共感を覚える同世代人士も決して少なくはないと思う。当時は「ヤンキー」という呼称は一般的ではなくて、「ごくどう」と言っていた。漢字ではどう書くのだろうか?…極道、獄道、極童…、ん~いろいろな説があるが、最後の「極童」がしっくりくるし、一番流通していた表記ではなかろうか。もっとも「わらべをきわめ」たらどうなるのか? それは「赤ちゃん」ということだろうか。ともかく謎の多い言葉である。もっとも、「ヤンキー」にしても、ニューヨーカーたちはどう思うか、ぶん殴られるのを覚悟で尋ねてみたい気持である。

前置きが長くなった。

展示品をひととおり眺めたあとに、ラッキーなことに、学芸員さんによる解説があるというので、彼の後について「作品」群をもう一度見て回ることにした。私より、二十くらい、いや下手をするとふた回りくらい若そうな、学芸員さんの抱く「ヤンキー」観は、私の持つ古く限定的なイメージよりも、広範かつ今日的である。

まず、なんと、あいだみつをの書が展示されている。「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
 ん~、どういういことだ!? こういった誰が読んでもわかり、これといった教養を必要とせず(失礼)、かつストレートに心に訴える詩句・誦句を、ヤンキーたちはたいへん好むのだという。まずは、ヤンキーの心象から迫るというわけだ。そういえば、僕宅の冷蔵庫にも、あいだみつをの詩句が貼られていた。ひょっとして女房はヤンキーだったのか!?

それから、ド派手なパチンコ台が2台、その向かいの壁にはファッション雑誌のグラビア写真が掲示されている。ヤンキーファッションといえば、改造学ランに特攻服というイメージが私にはあるが、このグラビアのモデルたちの装いは、パンクやラスタ、それからストリートファッションだ。若い学芸員の感性は、これらをも含めて「ヤンキー」とするのだ。

次の展示室には、福岡県での成人式の写真と彼の地でレンタルされている衣装の展示である。多くは、元暴走族の若者たちが、公然たる晴れ舞台の演出に趣向を凝らしかつ、グループ内では統一感のある服で、派を競うさまが見てとれる。このあたりは、オーソドックスなヤンキーの姿である。

いわゆるデコトラの模型がたくさん並べられているコーナーもあった。制作者である知的障がいの青年は、ヤンキーその人ではない。デコトラに魅せられ、美的衝動に突き動かされての営為のようだ。ヤンキーそのものではないが、文化現象としてのヤンキーの一つ表徴といえるだろう。

デコチャリ、デコ単車などは、一つ一つを手作りしたもので、制作者の涙ぐましいほどの努力を垣間見るようだ。デコ軽トラも秀逸であった。威嚇的で過剰な装飾を施しつつも、随所にハローキティを配し、不思議な茶目っ気がある。これはプロの仕事であり、バロックあるいはゴシック期の教会建築の装飾を連想させる。

全部挙げたらキリがない。展示品のごく一部について感想を述べたが、一つ残念なのが、ロック文化とヤンキーの邂逅があまり意識的には示されていないところだ。もちろん、嶋大輔や横浜銀蠅なんかはきちんとフォローされていたが、宇崎竜童はどうだったかな?

でも何といってもブランキー・ジェット・シティが無かったのが惜しまれる。


それでも総じて、実に多様な切り口による充実したヤンキー文化論であった。


さて、ヤンキーたちはこの美術館を訪ねるのだろうか。訪ねたとして、どのような感想を抱くのだろうか。美術館という宿命として、ある整理のされかたに違和感や怒りのようなものを感じるだろうか。それとも素朴に自分たちの文化を誇るのだろうか。



(全文・主宰 写真,改行・石原健)