笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2014-06-02

田中泯・姜泰煥・中村達也~ブレス・パッセージ2014~5月29日(木)鞆の浦・太田家住宅

田中泯・姜泰煥・中村達也~ブレス・パッセージ2014~5月29日(木)鞆の浦・太田家住宅

 開催される数日前に、ジャズ喫茶dootoで情報を得て、驚いた。フリーミュージックの企画はかつてのように頻繁に出来なくなったが、自分の知らないところで、こんな凄いライヴが企画されていたとは。しかも、かつて招いたことのある尊敬する姜泰煥と、フリクションで来てもらえないか、と勝手に考えていた中村達也、それに、かつて暗黒舞踏とかパフォーマンスとか言っていた時代から数々の即興演奏家と共演を重ねてきた田中泯。
すぐに予約をとって、当日は仕事が退けると、大急ぎで鞆の浦へ車を走らせた。

 この即興トリオの基本は、姜泰煥と中村達也との関係がまずあり、その上に田中泯の踊りが展開される、という構図のように私にはみえた。即興音楽を聴く機会を数多くもってきたのに対し、ダンス=踊りについては、意識的に接する機会が乏しかったという、自分の体験に基づく感じ方の、ある偏りがあるかもしれない、ということを最初に断っておかなければならない。
 姜泰煥の発するサックスの音は、一般的な意味で音楽的ではない。切れ目なくえんえんと続けられるフリークトーンは、音楽好きから拒否反応をおこされても不思議ではない。演奏家の中には、姜泰煥が出すような音をアクセントとして用いる者もいる。しかし、それは基本的な楽音がまずあっての逸脱でありアクセントであるわけで、姜泰煥のようにそれを自然体の基本的な表現の素材として用いるのとは、まるで異なる。だが、はじめは奇異に感じるかもしれないが、ひとたびこれに身を任せると、これほど心地よいものはない。循環呼吸によるロングトーンは、決して均一な表情を見せはしない。おそらく「完璧」な技術を求める者なら、この奏法から発せられる音群にはもっと均質な表情を求めるだろう。たとえば、エヴァン・パーカーやネッド・ローゼンバーグなどがそれだ。だが、姜泰煥の音は、ゆったりとした抑揚がある。おそらく、息を鼻腔から吸うときに、口腔からの吐き出される息が少し弱くなるためだろう。それはエヴァン・パーカーやネッド・ローゼンバーグの演奏では決して生じない抑揚だ、否、生じないように均一であることを美ととらえ、見事にコントロールされ消し去られた抑揚なのだ。西欧的近代主義的な感性で言うならば、姜泰煥の演奏は、パーカーやネッドの演奏よりも、技術的に劣る、つまり下手くそだと言えるかもしれない。しかし、姜泰煥の美意識はそれを消し去ろうとしない。そうすることで、大きな弧を描くようなゆったりとしたグルーヴが生まれるのだ。それは何と身体に心地よいものであることか。循環呼吸を表現の武器とする演奏家は枚挙に暇がないが、姜泰煥のような美意識によってこれを用いる演奏家を私は他に知らない。そして、その音も時に裏返ったり、二重になって聞こえたりする。これも、姜泰煥自身がコントロールしているのか、自然にそうなっているのか、わからないときがある。おそらく、自然にそうなっているのをあえて修正しようとしないのだろう。姜泰煥の演奏を民族的アジア的と感じる根拠はこんなところにあるように思える。姜泰煥自身はおそらく意識していないことであろうが。 
 それに対して、中村達也のドラムは、徹頭徹尾音楽的に聴こえた。どんな場面でも、跳躍力のあるリズムが次から次へと澱みなく湧き出で、それは迷いのない歌のようでもあった。まったく退屈させる場面はなかった。そうでありながら、この人のドラムには、身体の底の部分から発せられるような、不思議な深さがある。また、上半身全体に施された刺青の肉体がしなり、嗚咽のような叫びのような声を発しながら、全身で何かを感じ、そして表現していこうとする姿には、強烈に惹きつけるものがあり、しばし陶然とさせられた。
 表層的には、二人の音楽の作り方、美意識はまるで異なっているように思える。そのまったく違う音楽の資質をもっている二人が、いかに歩み寄るか、ではなくて、いかにそれを越えるか、それがこの夜の、私にとっての、テーマの一つであった。おそらく、オーガナイザーの大木氏の意図もその辺にあったのではないか、と想像する。
 時に、姜泰煥のサックスがドローンとなり、中村達也のドラムが歌のように感じられる
場面もあり、意外にいいコンビネーションじゃないか、と思わせるところもあった。逆に、姜泰煥が中村達也の音に、また中村達也が姜泰煥の音に、それぞれの表現をぶつけていくことに躊躇したり、黙り込んだりする場面が幾度もあった。むしろ双方がぎりぎりの妥協と着地点を図りながら、自分の音をぶつけあっているように思えた。だからこそ、必ずしもかみ合っていないような場面でも、ひりひりするような緊張が常にあった。サックスが梅津和時ならもっと「うまくいく」だろうと、ふと想像もした。梅津なら、中村が欲する音を瞬時に解析し提供することができるだろう。また梅津のアプローチに中村は最高に面白いレスポンスをみせてくれるだろう。そういうライヴがあったら、それはそれできっと面白いに違いない。しかし、そうは簡単にいかないところに、それを越えるところにこのライヴの凄味があるのだった。
 田中泯の踊りは、いかにも自在な感じがした。それは、踊りの場としてのこの会場が田中泯の自由な発想をより解放していたように思えるからだ。
田中泯は、最初、軍帽のようなよれよれのキャップをかぶり、これもまたよれよれの茶色い着物をはおり、下駄ばきで現われた。その白い髭のどこか茫洋とした風貌から、私は、去年の8月15日つまり敗戦の日に靖国神社で見た、軍服姿の右翼老人を思い出した。大時代の亡霊然とした様相である。その異形の体が、この古めかしい会場になぜかむしろ似つかわしく思えたのだ。太田家住宅の酒蔵は、広い土間となっており、ステージはなく、客席と踊りの場がひと続きとなっている。かつて酒蔵として機能したことを示す道具類が奥に見える。とりわけ、中央に見える、「はね棒」と呼ばれる太い丸太にたくさんのロープが結わえつけられ、そのロープの反対の先は地面にある大きないくつもの石にくくりつけられた、そんな装置は、これはいったい何だろうか、不思議な感興をもよおす。小さな階段も見える。照明は必要最小限におとされ、むしろ薄暗い中でおこなわれる、三人の男たちの名状しにくい饗宴に野趣を添える。
 田中泯は、単純に音楽に呼応するだけでなく、その場にあるものを自在にあやつり、時に客席に踊り込む。それがいかにも自然で自在であった。

 トリオによる即興演奏は、いくつものピークと谷間を繰り返した。それぞれの個性・持ち味を越えて何かが見えてくるような瞬間が、何度かあった。音楽でも踊りでもなく、表現という次元を超えた、どこか霊的な、そうだ!シャーマン的な、神降ろしの儀であるようにみえた。至高の瞬間である。 
 演奏は休憩なしに80分を越えた。中村達也はまだまだやれる感じだったが、高齢の(失礼)田中泯と姜泰煥には、これが限界であったのかもしれない。三人が肩を並べて挨拶をしていると、黒い影が私たちの頭の上、低い位置を猛烈なスピードで行き来した。こうもりだ。演奏中に、この酒蔵の暗闇に潜んでいたのか。あるいは、外から飛び込んで来たのか。三人の饗宴の終りに何か感応するところがあったに違いない。そしてそれはこの場にたいへん似つかわしかった。



(文・主宰)